ちっぽけのじぶん

巨大な宇宙とちっぽけのじぶん。
どうも、squallです。

熊本での長く続く地震...
311で震度5弱を経験しているわたしは、
今回はこちらは揺れていないにも関わらず、
震え上がっています。

現地の人、現地に知り合いがいる方は、
なおさら不安なんだろうな。
どうか、みんなの心に、少しでも早く平穏が訪れますように。


わたしの場合、
地震速報のサイレンが鳴ると、
未だに軽度のパニックを起こします。

以前、一緒にいた方が誤って携帯で地震速報と同じ音を鳴らしてしまったことがあるのですが、

音を聞いただけで、一瞬パニックになりました。

もう、条件反射的に、恐怖が戻ってくるようになってしまったんですね...


過去に生きるのではなく、
未来に生きるのでもなく、

今、ここ、にフォーカスすること。

不安だなって思っているこの瞬間、「今」は、
少なくとも大丈夫なのです。

不安の海に溺れることと、
冷静に備えをすることは、別です。




311の時、わたしは、
最初のほんの小さな揺れで、

「やばい!」と察知して、
店の棚から離れ、
ぽかんとしているツレを引っ張って、
大通りまで猛ダッシュしました。


都内とはいえども、馴染みのない土地で
大通りの場所を瞬時に把握して走る、なんてこと、

普段のわたしには、できません。
きっと本能的に危険を察知したんでしょう。

あんなに冷静に動けたことが、
今、わたしの心の頼りになっています。

とはいえ、相手は自然の猛威。
リスク管理に完璧なんてものはないけど、
考えられる備えはしておきたいし、しておくべき。


今持っている過剰な不安を手放すには、
あの時大丈夫だった、という事実を思い出すことが、
わたしにとっては大切でした。


携帯が繋がらなくても、
「きっと家族はあの場所にいるだろう」
という勘だけで歩いたあの日。

実は今、ある人と連絡が取れません。
ニュースを見ている限り、
揺れはそこまで大きくなかったみたいだし、
周りの人も、怖い思いはしたものの大丈夫だったみたいだから

多分大丈夫だと思うのだけれど、、、


心配なことには変わりありません。


きっと、大丈夫。大丈夫。
今は、待つことしかできない。


本当は、眠ってしまえば良いのだけど、
眠ることすら、できないので。
おとなしく、布団にくるまって、
落ち着くためにすきな音楽を聴いてます。


そういえば、311のあと、
やっぱり不安で、
しばらく心がざわつくときは、
賛美歌聞いてたなぁ。


地球や、無限に広がるうちゅうに比べれば、
じぶんなんて、ほんとにちっぽけな存在で、


自信がないとか、できないとか勇気がないとか、
ほんとにどうでもいいこと考えてたんだなぁなんて。


生きてるだけで、
ほんとに幸せなことで、

今生きているということは、
ちゃんと地球に受け入れられて、
神様に守られているんだなぁと思った。


squall


書くことで、全部じぶんに言い聞かせました。
あとで怒られるだろうな。
あとで一部文章削除します。
ごめんなさい。

積み上げる大切さ

積み上げて積み上げて、それがいつか倒れてしまってもいいんだ。
どうも、squallです。

今になって、積み上げることのたいせつさを実感してる。

やたら高く積み上げていた自信が崩れた今、
もういっかい、じぶん、を積み上げてみようとおもう。

こんどは、つまんないみえはって高く高く積み上げるんじゃなくて、

これの上にこれ乗せたら面白い?
こっちの方が面白い??
あっ、バランスとれた!乗っかった!!!

みたいな。

高くなくて、よくて、
低く広く、積んでも、よくて、
見た目がおかしくても、よくて、
色がぐちゃっとしてても、よくて、

みんなとちがうくらいの方が、
面白くない???って。


じぶんの、

すき!とか、

わくわくする!とか、

そういうピースをたくさん集めて、
並べていく。重ねていく。
こつこつ積み上げていく。

というか、いっこいっこ、はめていく。


...たぶん、ここのところずっと辛かったのは、

じぶんの本音を、全否定しちゃってたからなんだなぁと、思った。


じぶんの中のじぶん、
いじめてごめんね。
戻ってきてくれてありがとう。


もっともっと、愛してあげないとね。


おかえり。



squall

自信という自信を奪われて

自分が何か動いたところでたかがしれてるので。
どうも、squallです。


自分が動いたところで。
今助けが必要な人たちにできることを探してみたものの、
何か直接の役に立つわけでもなさそうなので。


自分が周りに迷惑をかけないよう、
ひたすら黙る、だけ。
今は自分ができることを積み上げる、だけ。


そして、かつて私が経験した恐怖体験は、
今はひっそりとしまっておこうと思うんだ。

どっちの方がひどかった、
どっちの方が怖かった、

そんな議論にもならない議論には、
意味なんかないんだよ。

今わたしに必要なのは、
トラウマの箱を開かないこと。
解決は時間がかかるけど、
回避はできる。

解決のための、回避。
壁を乗り越えるんじゃなくて、
土を掘り返して道を潜ること。










テレビの見過ぎはよくないよ。










squall
















追記: あんたがやったって、迷惑がかかるだけだからやめなさい。は、
わたしの母の口癖だった気がする。

喋れないこともまた楽し

話せないこと=不便なことだと思ってたよ。
どうも、squallです。

知らない間に体に負担がかかっていたのか、
先週くらいから、ノドを痛めてしまい、
実は数日間、声が全く出ない状況になりました(°_°)

声が全く出ないとなると、
声が出ることに慣れているわたしは
コミュニケーションがうまくいかない。

言いたいこともまともに言えない。
言いたいタイミングで言えない。


でもね、おもうのです。


最近わたし、しゃべりすぎだろ!って。


何がどうなって、
わたしの深層心理で何が起きてこうなってるのか、
自分で全く把握できない。


だから気がつくと

言わなくていいことを言っていたり、
余計に話すぎたり、
その結果、相手が言いたいことを言えなかったり

そんな状況が生まれるわけで。


声を奪われたら、

言いたいタイミングでモノが言えず、
反論したくてもできず、
というよりも

自分の意見をしゃべることすら、
めんどくさい!笑。

から、聞きたくなくても聞き手に徹するわけで。


そうすると、、、


相手のアウトプットが進むこと進むこと(笑)


その代わり、
アクティブな対話はできないけどね。
問いを投げかける、ということができないので。。


でも、「黙る」ことも時には大事だなぁと学んだわけです。


こうしてブログ打ってるときも、
隣でおかんが小言を言ってるわけなんですが。
聞いてほしいのではなく、言いたいのだ、
ということがわかったので、スルー。笑。
おかんごめん(笑)

でも知らない間に、仕事を通じて
どんどんソーシャルな視点を持ち始めたおかんのアウトプットを聞くのは楽しい。

こないだはLGBTの勉強会に参加してきたそう。

間違った知識とか(横文字を若干間違って覚えてるとか)は、笑いながらちょいちょい直すけどね(笑)

そんな視点を持っていなかったおかんも、
少しずつわたしと似たせかいに歩み寄ってくれてるんだなと思うと嬉しいのです。

これも、黙らなければ気づかなかったことだよね。

しゃべれないのも、経験としてたまにはいいことです。


squall



あなたが笑えばせかいがわらう

自分が動いたところで、社会は1ミリも変わらない。
どうも、squallです。

わたしはもともと、自己肯定感低い子ちゃんでした。
そして自己肯定感以上に、自己効力感が低い子ちゃんでした。

大学院時代に、NPOでボランティアをして、
高校生に自己効力感取り戻して!ってメッセージを伝え続けて、

それに比例するように、やっとこさ自分も自己効力感を取り戻した子でした。


自分が変われば、動けば、社会が変わる。

そう思えたことで、うまく歯車が回り始めました。

社会なんて大それたものでなくてもいい。
自分が変われば、隣にいる誰かが変わる。
それすら信じられないと、生きていくのが割とツライ。

やっと、少しだけ生きるのがラクになっていたところ。

でも、せかいはわりと簡単にわたしを裏切るもので(笑)

「自分がどんだけ動いたところで、社会は1ミリも変わらねーじゃねーか!」

って思い続けるような環境に身を置くことになって、
まあまあ消耗したのがこの春までのハイライト。

そしてそこから抜け出すことを選び取って、
(外的要因で抜けなければならない状態だったのとは別次元の話)

解放されたのがつい最近。

この先、自分どうするんだろーと、
じぶんとは別の、外の自分があたまで考える。

じぶんのなかのじぶん、は、
相当楽観視してる。
まぁなんとかなるやろーって。

セッションしたり、
占いを通して相手の方と対話したり、

そういうことをしてるときだけは、

じぶんがいることで、周りになにかプラスに影響していると実感することができる。

だから、きっとこれでいいんだーと、思う。

わたしが笑えば、せかいはすこし、優しくなる。

ひとが心からの優しい気持ちで微笑んだとき、
どうやったって、まわりにも優しい気持ちが広がる。優しくなる。

そしてわたしが怒れば、せかいはすこし険しくなる。
誰かが機嫌悪ければ、周りもつられるのは当たり前の話。

じゃあどっちでいたい?
どんなせかいで生きたい?

わたしは、優しいせかいで生きたいので、
わらうことをえらびます。


...なんか今日は難しいこと考えすぎた。笑。
文章も、いつもとちょっと違ってくるね。

自己効力感について、ふわっとはなす機会があったら話そうかな。

squall

だめだめなときにできること。

割と最近だめ子ちゃんです。
どうも、squallです。

実は今、相当な停滞期です。
圧倒的に、エネルギーが足りない。

春だからかしら?
人生がシフトチェンジしてるのかしら?

理由なんか、ありません。
エネルギーが足りない、
それ以上でも以下でもない。


あれもイヤ、
これもイヤ、
やる気が起きない。
文字も読めない。

だめだめ、だめ子さーんヽ(;▽;)ノ

だめ子期って、
あれもできてない、
これもできない、

割とそういうのばっかり目につくんだけど、


もう、あきらめました!!!!笑。
何もしない!を、する!!!笑。


だってエネルギー足りてないときに無理して動くと、


空回りして、余計に周りに迷惑撒き散らすんだもん*\(^o^)/*



エネルギーが足りないときにできる、唯一のこと。


それは、エネルギーをためること。


どんなに今がだめだめでも、
エネルギーが戻って来れば、
ちゃんといつものじぶんに戻れる。


だから、今ぐだぐだで、
たーくさん心配かけたり、
迷惑かけたり、
支えてもらってるひとたちに、

今だけは甘えさせてもらおう。


エネルギーが戻ってきたら、
めいっぱい、お返しさせていただこう。


だから今は、
エネルギーをためることに、
エネルギーを費やそう。


できること、
ちょっとでも気の向くもの、
やりたいなって思えるものだけ、
やっていよう。


何もできなくたって、いいんだよ。
落ち込んだって、いいんだよ。
地球がまわってるように、
人間だってまわるんだよ。


大切なことは、
とりあえず今日から明日へいのち続けること。


いつかエネルギーが補填されて、
動ける時期が来るまでいのちを続けることが、
今は大事なんだ。


そのためには、
しっかり寝て、
しっかり食べて、
お日様浴びて、
できれば少し運動すること。

かな。


公園に散歩に行ったら、ご当地ヒーローがショーをやってるのを見かけました。

こういうラッキーもあるのね。

squall

祖父との縁

祖父が、おじいちゃんが、
体調を崩した。

わたしがメンタルを崩している時、

同時におじいちゃんも、何かしらの体調を崩しているときが多い。


励ますために、元気な声を聞かせたいけど、
わたし自身に元気がない。ので、


なんとか絞り出す、

「元気だよ」

のことば。


「おじいちゃんも、元気でやってるよ」

という、元気のない声。


うそばっか。


口数が少ないおじいちゃんは、

電話というものが苦手で、


わたしが松山に来てからは、

ほんとの意味での会話、ができる機会が
なかなか減ってしまった。


そこにいる、という会話。

話さなくても、いてくれる優しさ。


同じ居間に、おじいちゃんと2人。

パソコンを眺めるわたしと、
新聞を大きなメガネで覗き込むおじいちゃん。


違うことをしていても、
ちゃんとそこにいてくれる安心感。


思えば、わたしが家を飛び出して、
バックパック持っておじいちゃんの家に逃げ込んだとき、


いつまでだっていていいんだからね。


って優しく受け入れてくれたのだった。


大人になっても、
こうやってちゃんと愛してくれる人がいるんだって、

こんなにダメダメでも、
ちゃんとまるごと受け入れてくれる人がいるんだ、って、


嬉しくて、安心して、
涙が出た。


おじいちゃんには、
誰にも言っていない、

わたしが家出をした理由、

ちゃんと伝わっていたのかもしれない、
って思う。


そうやって思うと、

やはりわたしは、
おじいちゃんと、縁がある気がする。


そして、
おじいちゃんだけでなく、
ご先祖さまとご縁がある気がする。


父方の祖父が亡くなってから、
わたしは急に、
霊、という存在が近くなった。


そして、不思議なことばかり起きるようになった。

その不思議なことが起きるたびに、
おじいちゃんの存在を感じた。


きっと、わたしはそういう巡り合わせを、
何かしらの形でうけおって、
生まれてきたんだと思う。



話はそれたけど、、、


おじいちゃん、心配だなぁ。。。


書類手続きのためとはいえ、
ことタイミングで東京に戻ることが、
自分の負けを認めるようで、
すごくすごく嫌だったんだけど、


滞在期間の長さは別とはいえ、
東京、戻らないとなぁ。


squall