生きていくのにひつようなこと

いきていくのに必要なことって、案外すくないのかもしれない。

どうも。squallです。

 

前にもちらっと書きましたが、

わたしには”だいじなもの”が多すぎるようです。

 

 

ほんとうに最低限いきていくためには、

 

たべて、

ねて、

すこしの運動をすれば、

いきていけると思うのです。

 

 

健康で文化的な最低限度の生活ができるかどうかは別として。

 

 

あいつが言ったひどいことばも、

取れないかもしれない必修の単位も、

間に合わないであろうしめきりも、

 

 

そんなもん、うまくいかなくたって、死にやしないのです。

 

 

そういうものを気負いすぎて倒れるくらいなら、

 

ひらきなおって軽い気分でやればいーじゃん。

 

 

 

えいやー!って捨てる事にしました。(先生ごめんなさい)

 

 

ただでさえ、squallは元気でいられる時間が人より少ない。

健康でうごきまわれる時間がひとよりすくない。

 

 

やりたくもないこと、

なっとくがいかないこと、

りふじんだなぁとおもうことに、

 

むだな時間をさいているほど、時間をもてあましていないのです。

 

 

「生きて行くためには何が必要か」

「より楽しく、いい気分で生きて行くにはどれが優先か」

 

 

大学院も、単位も、レポートもどれも大事だけど、

 

生きて行く、 という大枠で考えたらどれが大事なのか、

 

 

それを見失わないようにしようと思いました。

 

 

周り道に思えることも、

無駄なんじゃないかとおもえることも、

時にはやってみることもだいじかもしれない。

だって新しい出会いとか発見があるかもしれないから。

 

 

でもさ、大きな流れをわすれちゃいけないよ。

自分がなにがすきで、

どんなことがたのしくて、

どんなことをして生きて行きたいのか。

 

 

最近のsquallはそんなことをかんがえるようになりました。

 

squall