いとおしい日々。〜プロギャンブラーとの約束〜
忙しい日々のなかでも、わすれたくないことがある。
どうも。squallです。
きのうから今日にかけて、何にもかえがたい、かけがえのない愛おしい時間をすごしたなあなんて、いまになってじんわり感じています。
たくさんの仲間に出会い、
たくさんの価値観に触れ、
あたらしいきみの一面に触れ、
あたらしい自分にも気づく。
私は、忘れもしない、10/17、大きな決断をしました。
実家を出ることにしたのです。
行くあてもないので、友達にお世話になったり、漫画喫茶で過ごしたり。
このときは本当に精神的に不安定だったし、友達にも、本当に迷惑をかけてしまったなと思ってる。。。ごめんね。そして、心から、ありがとう。
実家を出て、1週間がたつ頃、
このままではいけない、そろそろ体も心も、お金も持たない。
両親からの助言と、自分のできの悪いあたまで考えたあげく、
祖父母の家に住まわせてもらうことにしました。
今考えると、この選択は、今までの人生で最大にして最幸な選択だったかもしれません。
来年の春、社会人になる私は、一年後には実家を離れるでしょう。
今の家族と一緒に住むことは、もう、ないかもしれません。
ひとつ、ずっと気にかかっていたことがありました。
それは、小さい頃から私をずっとかわいがってくれている、
おじいちゃんとおばあちゃんのこと。
小さい頃は毎週末のように遊びにきては、庭で遊んでもらったり、町内会のイベントに連れて行ってもらっては、ご近所の方々にかわいがってもらったりしていました。
季節によっては、野菜の収穫を手伝わせてもらったり、ね。
あのとき、私は確実に愛されていた、という確信に近い記憶が、ずっと残っているんです。
そして、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に生活したい、と心のどこかで思っていた。
学生生活最後の一年、大好きなおじいちゃんおばあちゃんと過ごす、というのは、
私にとって学びも多く、感性も、豊かになったような気がしています。
日々の家事だって、手伝えることは手伝う。
そう、分業ではなく、 「一緒にやる」 のです。
洗濯物を干すのも一緒、取り込むのも一緒。
毎回というわけにはいかなくても、買い物も一緒。
使えるモノは、多少壊れても直して使う。
ただの木箱(お道具箱)だけど、60年以上前のものもあります。
実家では気づかなかったような、くだらないことでも3人で笑い、
”当たり前” だったはずの「いってらっしゃい」「おかえり」があって。
「おやすみ」「また明日ね」という、ごく当たり前に交わす挨拶がいとおしい。
そう。愛おしい日々を、私は送っていたのだ。
知らない間に。自分の選択によって。
「一分、一秒がいとおしい。」
彼は言いました。
そんな日々が送れたらいいな、と思う一方で、
いまある「いとおしい」日々を、
偶然だったかもしれないけど、あのとき、祖父母と暮らすという決断をしたことも、
大事にしたいなあと思うのでした。
そして、その「いとおしい」の濃さを、もっともっと濃くしたい。
私は、あと2ヶ月ちょっとで25歳という節目の年を迎えます。
私は、向かいたい方向に向かえているだろうか?
夢を追うことを、
相手を理解することを、
理解してもらうことを、
諦めていないだろうか?
美しい世界を、美しいと思えているだろうか?
浮かぶ問いは数知れないけれど、
自分と向かい合うことだけはわすれずに、
残りの24歳をすごそうと思います。
全ての出逢いに、感謝。
squall
あたらしい気付きをくださった、プロギャンブラーのぶきさん、本当にありがとうございます。
いつか、一番深い愛しい時間を過ごせるようになったら、しっかり報告に参ります!!