じっちゃんの名にかけて

じっちゃんの名にかけて、ってわけじゃないけど、
おじいちゃんに恥じない生き方をしたい。
どうも。squallです。

 

あんま意識してなかったけど、今、ぜっさんお盆休みなんだよね。
上京してる人は実家に帰郷しているだろうし、

実家にすんでるひとも、ごりょうしんの実家にかえってるかもしれない。

 

そんななか、squallはあつくてとろけそうな東京の実家にいます。

 

 

squallは、3年前に、大好きなおじいちゃんを亡くしました。

 

人の死と対峙するのは初めてで、

それがどんなもんだかよくわからないままその時を迎え、

 

泣き崩れるおばあちゃんの声を聞いて、

あぁ、おじいちゃん死んじゃったんだ、って実感しました。

 

お葬式の日、冷たくなったおじいちゃんのほほをなでて、

ごめんね、って思った。

 

亡くなる直前、おばあちゃんがね、おじいちゃんに言ったんだ。

子どもも孫も立派に育って、それがいいお土産だね って。


私は、苦しかった。

 

 

全然、良い孫なんかじゃなかったし、立派な孫でもなかった。

 

その頃の私は、体調を崩して、大学はほとんどいけず、

普通の人ができることが普通にできない。

満足に学校にいけない。

家でひたすら、寝ているだけ。

 

立派なんかじゃない。人並みに学校すらいけない。

 

名門大学に通う他の孫たちにくらべて、わたしは明らかな劣等生だった。


それから1ヶ月くらい、私はおじいちゃんを思い出しては、ずっと涙を流した。
立派な孫になれなくてごめんなさい。きっとおじいちゃんは、私のことを心配しているだろうな。。。


でもある頃から、私は、おじいちゃんの前でも胸を張って生きられるようになった。

きっと、就活を自分の意志で辞めた頃から。

 

人並みに生きて行けないのなら、
自分で自分の人生切り開かなくちゃ。

 

私がよく、

ぶれないね。

芯があるよね、って言われるのは、

 

自分なりの生き方を模索しないと、この世界で、社会で、生きて行けないからです。

 

自信を持って生きられるようになったころ、

大学院進学が決まった。

 

すぐにお墓参りには行けなかったけど、

まっさきに、心の中でおじいちゃんに報告した。

 

おじいちゃん、わたしも、立派な孫になれたかな。

厳しかったけど、すごく大きくて優しくて。

豪快に笑う、おじいちゃんの笑顔が浮かぶ。

 

 

今はお盆の季節。

きっとこっちに戻って来ているんだろうな。

 

どこにいるか、見えなくても、

きっと私を見守ってくれてる。

 

私は、きっともう大丈夫だよ、

 

なんて、おじいちゃんと秘密の会話をしながら、

空を見上げるsquallでした。