いきる

タイマーの音がなる

 

眠気まなこに目をこする

 

時計の針を確認する 

眠りの中へ戻ろうとする。

 

誰かが歯を磨いている

 

野菜を刻む音がする

 

トーストがこげる匂いがする

 

今日も朝がきたらしい。

眠さをひきずったまま、ベッドから起き上がる。

 

今日がはじまる。

そう、今日がはじまる。

 

 

 

いきること

それは食べること。

 

好きなものを目一杯食べること。

大好きなひとと、おいしいものをたべること。

たまには、ジャンクフードに手を出してみること。

 

いきること

それは着ること

 

おきにいりに一枚をさらっと着こなすこと。

これだ!という一枚を見つけてよろこぶこと。

大好きな服をきて、大好きな人たちに会いにいくこと。

 

いきること

それは感じとること。

 

風がきもちいいということ。

こかげで休むということ。

あなたの手のぬくもりを、わすれないということ。

 

いきること

それはかんがえるということ。

 

自分がなにを考えているのか知ること。

相手が何を考えているのか理解しようとすること。

たまには故人に答えをもとめてみる、ということ。

 

 

 

どれも当たり前かもしれない。

どれも当たり前なんだろう。

 

でもわたしには

どれも当たり前じゃない。

 

どれもが危ういバランスで成り立っていて

いつ崩れてもおかしくない。

 

今日があるということが奇跡で、

今日を当たり前にいきられることが奇跡で、

 

今日をすごせるということを

感謝しなければならない。

 

 

そんな簡単でむずかしいことを

わたしはいつだって、わすれてしまうのだ。

 

 

squall

 

 

 

後記:

なんか明らかに誰かの詩からinspireを受けているような気もするけれど、

著作権は表現は保護するが、アイディアは保護しない、

そうなのでえいやー!と思って書いてみる。

あまり多くの人に拡散する気もない。

 

偶然この言葉たちに出会った人たちが読んでくれたら良いな、くらいに思ってるし、

いきることの”非日常性”を忘れがちな私への備忘録としてここに記す。