【読書記録】奉仕をする本当の理由。 〜夜回り先生 著作:水谷修氏 を読んで〜
奉仕のつもりじゃないんだ。生きるためにやってんだ。
どうも。squallです。
私はいま、NPO法人でボランティアをしていますが、
奉仕活動をしている、という実感はありません。
なぜなら、
それは、私がわたしをみとめてあげるためにやってるから。
先日、このブログで 「活字がきらい!書をとるのがきらい!」と宣言した私ですが、
(詳しくは 活字ばなれ をさんしょうしてください。)
ふら〜っと入ったBOOK-OFFで、ドキュメンタリー番組で見たりして前から気になっていた"夜回り先生"の本があったので、即決購入。
少しずつ引用しつつ、感想っぽいものを書いていけたらいいなーと思う。長いよ?飽きたら途中で回れ右してください^^;
- 作者: 水谷修
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2009/03/06
- メディア: 単行本
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”(ー略)私が21年間の教員生活を振り返り、ただひとつだけ胸を張れることがある。
それは、一回も生徒を叱ったり、殴ったことがないということだ。
(ー中略)
なぜなら、子どもたちはみんな「花の種」だと考えているからだ。
どんな花の種でも、植えた人間がきちんと育て、時期を待てば、必ず花を咲かせる。これは子どももまったく同じで、親や学校の先生、地域の大人たちやマスコミを含む社会すべてが、慈しみ、愛し、丁寧に育てれば、子どもは必ず美しい花を咲かせてくれる。”
(本文p.36より)
いま、日本の子どもたちの自己肯定感はとっても低い。
いや、たぶん子どもたちだけでなく、おとなも、社会人も、おおかたそうなんだろうな。
日本の”謙虚で腰が低い”という文化はたしかに美しい。
でも、
努力すればなんでも解決する、できないのは気合いが足りないからだ、
そういう一部の努力根性主義とか、過度な向上心や周囲の期待がそれにプラスされると、
「自分なんか・・・」
と自分を悲観してしまう。
にんげんなんだから、わるいとこもあれば、いいとこもあるじゃん!
そのことに、気づけない。
なぜなら、褒められることをしらずに育ってしまったから。(少なくとも私はそうだ)
なんだろうね。努力根性気合い主義って、戦時中の軍国主義の残党みたいな気がしてしまって、なんとなくわたしは気がひけるんだよね。体罰とかもそう。
じつは、アントニオ猪木さんのビンタとかも、苦手。
エンターテイメントとしてはいいとおもうけど・・・
"この世に生まれたくて、生まれる人間はいない。
私たちは、暴力的に投げ出されるようにこの世に誕生する"
(本文p.105より)
どんな家族にうまれても、社会が、その子をひとりの人間として愛情かけて育てる。社会全体で子どもを育てる。そういう社会が理想だなーと思うんだよね。
水谷先生は、この本の中で、こんなことを話しています。
これは子どもたちを救うためにやっているのではない。いつでも私は寂しくて、子どもたちに出会いたくてやっていることだと。
最初に伏線を張ったように、
私は、奉仕の気持ちとか、誰かの役に立ちたい、という気持ちからボランティアをしているのではない。
もちろんそういう気持ちもあるかもしれない。でもそれはほんの一部。
本当の理由は、誰かの役に立つことで、自分をみとめたいのだ。
だれかに必要とされることで、生きていることを実感したいのだ。
自分を、肯定したいのだ。
ほんとうはわたしだって、基本、自分を肯定できないにんげんのひとり。
だれかに認めてもらわなくては、じぶんを肯定できない。
それでもここ最近は、やっとじぶんでじぶんを認めて、うけいれてあげられるようになった。
ほんとうに、いまやっているNPO法人との出会いのおかげ。
たくさんの仲間との出会いのおかげ。
たくさんの生徒との出会いのおかげ。
だからわたしは自信をもって、
この世界でいきていけるのだ。
squall