【読書記録】奉仕をする本当の理由。 〜夜回り先生 著作:水谷修氏 を読んで〜

奉仕のつもりじゃないんだ。生きるためにやってんだ。

どうも。squallです。

 

私はいま、NPO法人でボランティアをしていますが、

奉仕活動をしている、という実感はありません。

 

なぜなら、

 

それは、私がわたしをみとめてあげるためにやってるから。

 

 

先日、このブログで 「活字がきらい!書をとるのがきらい!」と宣言した私ですが、

(詳しくは 活字ばなれ をさんしょうしてください。)

ふら〜っと入ったBOOK-OFFで、ドキュメンタリー番組で見たりして前から気になっていた"夜回り先生"の本があったので、即決購入。

少しずつ引用しつつ、感想っぽいものを書いていけたらいいなーと思う。長いよ?飽きたら途中で回れ右してください^^;

(引用元:小学館文庫「夜回り先生」著作:水谷修

 

夜回り先生 (小学館文庫)

夜回り先生 (小学館文庫)

 

 

”(ー略)私が21年間の教員生活を振り返り、ただひとつだけ胸を張れることがある。

 それは、一回も生徒を叱ったり、殴ったことがないということだ。

(ー中略)

 なぜなら、子どもたちはみんな「花の種」だと考えているからだ。

 どんな花の種でも、植えた人間がきちんと育て、時期を待てば、必ず花を咲かせる。これは子どももまったく同じで、親や学校の先生、地域の大人たちやマスコミを含む社会すべてが、慈しみ、愛し、丁寧に育てれば、子どもは必ず美しい花を咲かせてくれる。”

(本文p.36より)

 

 

いま、日本の子どもたちの自己肯定感はとっても低い。

いや、たぶん子どもたちだけでなく、おとなも、社会人も、おおかたそうなんだろうな。

 

日本の”謙虚で腰が低い”という文化はたしかに美しい。

でも、

努力すればなんでも解決する、できないのは気合いが足りないからだ、

そういう一部の努力根性主義とか、過度な向上心や周囲の期待がそれにプラスされると、

 

「自分なんか・・・」

 

と自分を悲観してしまう。

 

 にんげんなんだから、わるいとこもあれば、いいとこもあるじゃん!

 

そのことに、気づけない。

なぜなら、褒められることをしらずに育ってしまったから。(少なくとも私はそうだ)


なんだろうね。努力根性気合い主義って、戦時中の軍国主義の残党みたいな気がしてしまって、なんとなくわたしは気がひけるんだよね。体罰とかもそう。

じつは、アントニオ猪木さんのビンタとかも、苦手。

エンターテイメントとしてはいいとおもうけど・・・

 

"この世に生まれたくて、生まれる人間はいない。

私たちは、暴力的に投げ出されるようにこの世に誕生する"

(本文p.105より)

 

どんな家族にうまれても、社会が、その子をひとりの人間として愛情かけて育てる。社会全体で子どもを育てる。そういう社会が理想だなーと思うんだよね。

 

 

 水谷先生は、この本の中で、こんなことを話しています。

これは子どもたちを救うためにやっているのではない。いつでも私は寂しくて、子どもたちに出会いたくてやっていることだと。

 

最初に伏線を張ったように、

私は、奉仕の気持ちとか、誰かの役に立ちたい、という気持ちからボランティアをしているのではない。

 

もちろんそういう気持ちもあるかもしれない。でもそれはほんの一部。

 

本当の理由は、誰かの役に立つことで、自分をみとめたいのだ。

だれかに必要とされることで、生きていることを実感したいのだ。

自分を、肯定したいのだ。

 

 

ほんとうはわたしだって、基本、自分を肯定できないにんげんのひとり。

 

だれかに認めてもらわなくては、じぶんを肯定できない。

 

 

それでもここ最近は、やっとじぶんでじぶんを認めて、うけいれてあげられるようになった。


ほんとうに、いまやっているNPO法人との出会いのおかげ。

たくさんの仲間との出会いのおかげ。

たくさんの生徒との出会いのおかげ。

 

だからわたしは自信をもって、

この世界でいきていけるのだ。

 

 

 

 

squall