社会不適合について。続き

記事書いてたら、もうちょっと書きたくなった。

squallです。もう少しお付き合いください。

 

 

さきほど、社会不適合、ということばについて考えました。

 

考えてみて、おもった。

 

 

”社会不適合”という言葉をふりまわして、

”社会不適合者”を社会から追い出してしまうのは、

ほんとうにもったいないとおもうんだ。

 

 

にんげんは、この世にうまれてきた以上、なにかしらのいいものをもってる。

それをキリスト教圏では、神様からのプレゼント、とか言ったりもするのだけど。

 

 

その”社会不適合者”がもっているいいものを、社会からおいだして、

社会でやくにたたないようにしてしまうのは、ほんとうにもったいない。

 

 

”社会不適合”というレッテルをはられてしまった人にだって、

できないことはあっても、できることもあるだろう。

 

 

そういうものを、なかったことにしちゃって、いいの?

そういうものを、しゃかいで生かさなくていいの?

 

 

”社会不適合者”を"社会不適合"にしているのは、社会だとおもうんだ。

 

 

”社会不適合者”をどう社会にいかすか、しっかりかんがえられるしゃかいって、すばらしいとおもうし、

そういうことが、これから必要となってくるんじゃないかな。

 

 

きづいていないだけで、にんげんだれだって、いいとこもってんだよ。

 

 

 

squall

 

 

なんか社会不適合、という言葉をたくさん書いてたらきぶんわるくなってきた・・・汗