わたしが美術館にいきたい理由
最近めっきり仏像ガチャにはまっております。
どうも。squallです。
友達がらじおで、美術館とかアートの話をしているのをきいて、おもいあたるふしがあったのでかいてみようとおもいます。
わたしはたまーにしか美術館に行かないのですが、いったときはものすごーーーーーく長い時間をかけて作品一つ一つを見ていきます。
そしてたいていみんなに置いていかれる笑。
だから美術館にいくときは、ひとりで行くか、出口で待っててーてきなかんじにしてます。
なんでこんなに時間がかかるんだろう?
とおもって、そのりゆうをさぐってみる。
案外すぐわかった。
わたし、作品ひとつひとつと向き合ってるんだ。
作品をみて、わたしは何をかんじるのか、この作品は何をうったえかけているのか、
その作品のまえに立って、うーーーん。ってかんがえる。
そうすると、めっちゃ時間がかかる笑。
それってね、私が仏像の前にたったときも同じなんだよね。
わたしが仏像がすきだったりするりゆうも、信仰心からくるものではたぶんなくて、
仏像、という一種の美術品が私になにを訴えかけているのか、読み取ろうとしてるんだとおもう。
そして、仏像の圧倒的な迫力とか、圧倒的な穏やかさのまえに、息をのむ。かなわないなあと思う。
そうやって美術品と向き合ってるじかんは、じぶんともむきあってる。
美術品と向き合うじかんは、わたしがわたしと対話するじかん。
squall