相手の身になる
あいての身になるの”み”ってどの字だ?と実は調べました。
一個おべんきょうになりました。squallです。
よく、「相手の身になってかんがえなさい」とかいうけど、
相手の身になるってどういうことか、かんがえた。
相手の身になるって、相手の立場にたってかんがえる、ってことと同義だと思うんだけど、
わたしたちにんげんって、どこまで相手の身になれるのでしょう。
どこまで相手のたちばに立ってかんがえられるとおもいます?
わたしは、相手の身になる、ということばに、いっしゅのぎぜんをかんじます。
だってさ、いくら相手の立場になって考えたって、あいてのことをかんがえたって、
それをかんがえてる脳みそは、あなたなんだよね。
それをはかっている価値観は、あなたの価値観でしかないんだよね。
もちろん相手の身になってかんがえることはだいじよ?
あいての立場になってかんがえるのもだいじ。
あいてのきもちをかんがえるのもだいじ。
もちろんもちろんそうなんだけど、それは大前提なんだけど、
それにはげんかいがあるってことを知ってないと、
ただのしったかぶり
むしろぎぜん
むしろきけん
あいてのきもちをかんがえるのはとってもだいじ。
でも一定れべるをこえたら、それはもうじぶんのそうぞうでしかない、ってことを
どっかでおぼえていたいなぁ。
squall